本やマンガの言の葉

色んな本やマンガなどの言葉を書いていきます。

『嫌われる勇気』の言の葉

 

こんばんは。

 

 

 今日は、

『嫌われる勇気』の

言葉をご紹介。

 

自己啓発書の中でも読みやすく、

ほとんどの方が

名前はきいたことがあると思います。

 

ユングフロイトと並び

心理学の3大巨頭と評される

アドラーの教えを

 

青年と哲人との

対話の形で学べます。

 

その中で語られる

ほんとうの自由についての部分です。

 

 

 

ほんとうの自由とは

 

他者から嫌われたくないと思うこと。

 

これは人間にとって、

自然な欲望であり

衝動である。

 

近代哲学のカントは

こうした欲望のことを

「傾向性」と呼んだ。

 

本能的な欲望、衝動的な欲望のことである。

 

そうした傾向性の赴くまま、

つまり、欲望や衝動の

赴くままに生きること、

 

坂道を転がる石のような生き方は

「自由」ではない。


ほんとうの自由とは、

転がる自分を

下から押し上げるような態度のこと。

 
石ころは、

1度転がり始めると

重力や慣性といった自然法則が

許すところまで転がり続ける。

 

しかし、

私たち人間は石ころではない。

 

傾向性に抗うことができる。


承認欲求を満たすために

転がり続けできあがった自分は

「本当の自分」と言えるのか。

 

そんなはずはない。

 
アドラー心理学では

「すべての悩みは対人関係の悩み」だと

考えられている。

 

つまり人は、

対人関係から解放されることを求め、

 

対人関係からの

自由を求めている。

 
しかし、この社会の中、

1人で生きることはできない。

 


つまり、「自由」とは

他者から嫌われることである。

 


誰かに嫌われている

=自由を行使し、自由に生きている証であり

    自らの方針に生きていることのしるし。

 


すべての人に好かれる生き方は

不自由極まりない生き方である。

 

 

『嫌われる勇気』

ほんとうの自由とはなにか   より

 

 

人に好かれようとすることは

普通のこと。

 

特に日本の人は強い気がする。

 

何かをしようとするとき、

まず気にするのは

他人の目。

 

これをすると

周りからどう見えるのかな、

他の人もしてるかな、、、とか。

 

自分もしてたことがあった。

 

でもやめた。

 

いつやめたっけな。

わかんないし自覚してたわけでもない。

 

嫌われることが

好きなわけではなくて、

 

そりゃみんなが好き同士で

いれたら最高なわけで。

 

でもそうはいかないのが

人間という生物なわけで。

 

どうせ誰かには

非難されたり、嫌われるって

分かっただけで

 

もう全く気にならない。

 

少しばかり勇気がいるかもだけど、

 

どんだけバカやっても、

背中押したり

一緒に笑ってくれる人がいて

 

もっとバカみたいに

突き進んでる人もいる。

 

ちゃんと支えてくれる

人がどっかにはいる。

 

もう大丈夫。

 

たった一度きりの自分の人生、

何に命を賭すのか。

 

常識なんてものの

ご機嫌とりになんか

時間つかってられない。

 

自分の中の

ちょっとした迷いを

取り払ってくれた言葉です。

 

 

読んで頂き、

ありがとうございました。

 

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            嫌われる勇気